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           資料・宮本常一


馬喰爺さんとの出逢い

 雪の深い韮が峠(にらがたお)をこえて伊予浮穴(うけな)
から土佐檮原へ越えたのは昭和十六年一月であった。そしてそ
の日の夕方、四万川というところへいった。四万川には宿はな
くて、那須という人の家にとめてもらった。那須さんは那須信
吾の嗣子であった。那須信吾はこの地の郷士で、梼原の里正(
郷士庄屋)であった吉村寅大郎と仲よくし、吉村が京都へ出て
勤王運動に奔走するようになると那須もこれにしたがい、文久
三年(1863)八月天誅組大和挙兵のときはこれに加わり、鷲家
口というところで戦死した。那須信吾には子がなかったので、
親戚から入ってあとをついだ。温厚なよい人であるが、断絶し
た家をおこしたので、家の歴史のことにはあまりくわしくあり
ませんといって、竜王宮の神主を紹介してくれた。神主さんは
八十すぎの大変元気な人で、話題は豊富なのだが、いわゆる伝
承型の人ではなく、私見が加わり、また村以外の話が多い。そ
こでこのあたりのことをよく知っている人はいないだろうかと
聞くと、「 この下の橋の下に八十すぎの乞食が住んでいる。今
は物をもらって暮しているがもとは馬喰でこのあたりを歩きま
わっていた。盲目でどこへも行けぬからいつ尋ねていってもい
るだろう、あの男に話をきいてみるとよい」と教えてくれた。
そこで早速その晩橋の下へおりてみたのである。橋の下に筵
張の小屋があって、その中に夫婦の者が暮していた。ものをも
らって来て生活をたてているとのことで、私がいくと間もなく
婆さんは出ていった。爺さんは一通り私の履歴を聞き、肱川・
植松・上浮穴などを歩き、韮が峠を越えて来たことをはなすと、
いかにもなつかしそうに自身の身の上をはなしはじめたのであ
る。この爺さんは肱川から東へはいった谷間の村で少年期をす
ごし、若い時期は城川・日吉といわれるあたりを働き場にし梼
原へもたびたびやって来ていたようで、最後は四万川へ落ちつ
いたもののようである。私が爺さんの働き場であったところを
歩いて来たので、なつかしさが一入(ひとしお)で、その身の
上を事こまかに話してくれたのだと思うが、目が見えなくなっ
て、一日中端然とイロリのほとりにすわってすぎ去った日のこ
とを思っていると、過去が美しい絵になって心の中に凝集して
いったものと思う。私がほんの少々迎え水にな話をすると、そ
れにつれて自分のことをはなしてくれるのであった。
「あそこに大きな白壁の家があった」といえば「ああ、あの家
は」といった調子で、その家にからむ自身の話をしてくれるの
だが、どの話もすべて一枚の絵になり、物語になっている。そ
ういう話をおそらく誰にも話したことはなかったであろうし、
私に話した以後も誰にも語ったことはないと思う。それを語れ
ばどこかに傷っく人があったはずであるから。私もまた具体的
な人名や地名ほ全部はずしてしまったが、爺さんの話の中には
すべて人名も地名も入っており‥きわめて具体的に語られたの
である。すべてが体験だったからである。しかしそれは散文的
ではなく、すべて語りであった。
 このお爺さんは全くアウトロゥの人である。世からはみ出し
ている。村の生活秩序の中で生活した人ではない。そして死ん
で痕跡も残さないような生き方をして来た。しかし、その人の
心の中にきざみこまれた人間の姿の中に生きるということの事
実をおしえてくれるものがあるばかりでなく、どんな人間も自
分自身に対して誠実に生きていく者は詩を持ち文学をもってい
るものではないかと思った。文学は文学者の独占するものでは
ないように思った。
 庄屋のおかたとの話はもっともっとこまやかなものであった。
そういう話をチロチロもえるイロリの火をたよりにノートへ鉛
筆で片仮名で書いていったのである。老人の話だからゆっくり
しているので、ほとんど話す通りに書きとることができる。こ
の爺さんはこちらから誘い水をしさえすれば三晩でも四晩でも
話してくれたはずであるが、一晩だけ話をきいて四万川をたち、
爺さんの働き場であった城川や日吉が見たくて、文丸(ふんま
る)峠を西へこえて城川へ出たのであった。考えてみるとおし
いことをしたもので、この爺さんの話だけで一冊の書物にして
おくはどの努力をすべきであったと思う。そしてどのような人
間も珠玉のキラめぐような美しいものを持っているのではなか
ろうかと思うようになった。
 最近梼原の町を訪れ、そこから西へこえて日吉、城川を通っ
た。爺さんのとまったことのある日吉館はもとのままであった。
城川はすばらしい役場や公民館ができていた。そして日吉でも
城川でも牛は一頭も見かけなかった。爺さんはいつ死んだか。
しかし爺さんのような人は、この山あいにはいまも生きている
のではないかと思った。
 私の書きとめた話を坂本さんはあの爺きんの心になって今も
演じつづけている。そして多くの共鳴者を得ている。あるいは
共鳴者の心の中に生きているのかも知れない。
            (みやもとつねいち・民俗学者)


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