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青江三奈さんが「土佐源氏」を観てくれて


 青江三奈さんが「土佐源氏」を観てくれたのは、もう25年も前になる1975年11月、青山通りにあったVAN99ホールだった。
 係の佐久間君があわてて楽屋にかけこんできて「青江三奈さんがおみえになりました」と告げるや、金髪の美女があらわれ、あの声で「いま札幌から羽田に着いたばかりなの」と云ってナポレオンを、化粧前にポンと置いてくれて「まあ、汚い顔ね。私なんてどうやってきれいにしようかと苦労するのに、坂本さんは汚くするほうに懸命ね」とおっしゃった。そのとき私は、金髪の美女が突然あらわれたので、ただウロウロするばかりで、乞食衣裳をまとい、よごしたメイキャップのままではそばに寄って握手することも出来ず、とにかく離れたところから椅子をすすめるのが精いっぱいだった。
 そんなことがあった数ケ月前、実は『唄と女』と題して、水上勉作品三作を青江三奈さんの唄と、われわれの語りと芝居でつないだ、いわば唄芝居をもって旅公演をしたことがあった。
 青江三奈がかすり模様の野良着姿で唄う「越前竹人形」 そして"あの声"  降りつもる 降りつもる
  雪の姿とみえたるは
  山のおふもとの竹のひとむら
  きの川 上の奥里に
  竹人形をつくる人がいた
 客はいつもみなれたあの金髪とドレス姿の青江三奈ではないのに、はじめのうち少々とまどっていた様子だった。唄になってあの声をきいて気づいたのか、あわてたかのように「青江!」と声がかかった。
 「五番町夕霧楼」では「げんげの花」を、青江三奈さんと同じふとんのなかで並んで一緒に唄うシーンもあった。あるとき、どこの会場であったか、青江さんが舞台の上下(かみしも)を間違えてふとんの中へのスタンバイがおくれ、やむなく私ひとりで唄いはじめたこともあった。
 楽しい旅公演であった。
 大阪で打ち上げ会のとき「土佐源氏」のほんのひとくさりを勿論衣裳もなにもつけずにやった。そのとき、青江三奈さんが「是非つづきをみたい」といってくれた。それがVAN99ホールに多忙極める青江三奈さんのあしを運ばすことになったのである。
 その後、浅草国際劇場(いまホテルになっている)での青江三奈ワンマンショーの楽屋でおあいした。芸者姿に扮したとき、かつらがコメカミのあたりにあるホクロにあたって、痛い痛いといっておられた。それが青江三奈さんとおあい出来た最後だった。五十四才の若い死であった。
 青江さんにもう一度おあいしたかった。

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