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限界をみすえ生きる人生を


 只今、W・シェークスピアの「十二夜」で旅公演中であります。
 やっと前半の旅がおわりまして、今日から沖縄、三重県多気町、岐阜、黒部、札幌、南足柄、加賀、仙台と巡演します。
 去年は、堤春恵作『假名手本ハムレット』でニューヨーク公演。倉本聰作『ニングル』と『今日、悲別で』の二作品でカナダ横断公演。と、すっかり世界の旅役者でありました。古今東西を問わず役者には旅はつきものといわれ、わたしは当り前におもっておりますから苦にはなっておりません。
 なにせ『土佐源氏』の旅は三十年前から続いておりますから。それに『土佐源氏』のおかげで過去、日本国中どころかポーランド、ドイツ、オランダ、ペルー、ブラジル、デンマーク、イギリスと、世界をドサ廻ってきたのですから、いまふり返ってみますと、よくあんなところまで行って芝居してきたもんだとおもいますよ。
 ペルー、ブラジルでは、随分と奥地までよばれて行きましたからね。はたして本当に日本に帰れるのだろうかとおもいました。ブラジルでの最後の日なんか、A地で夜九時に芝居がおわって、むかえの車で2時間走ってB地で芝居をはじめたのが夜中の1時でした。
 この年、1979年にはこのペルー、ブラジル公演を含めて100回も『土佐源氏』を演じているのですから、若かったんですね。
 このところ、やはり年齢(とし)ですかね……。ふっと俺はどこでどんなところで、どうやって死ぬのかな。ひょっとするとこれが最後の仕事になるかも知れないから、大事大切に良い仕事にしないといけないと思ったりするんです。
 つい先日、生れ故郷の出雲から「古希の会」の案内状がとどきまして、5月に祝賀会を開催するというのです。一瞬わたしは、まだ七十歳にはなっていないはずなのに気が早いなぁとおもいましたが、数え年齢でいえば七十歳なんですね。
 わたしが生れた1929年は世界大恐慌の年。幼年時代に日中戦争が始まり、そのまま青春前期に太平洋戦争の中に叩き込まれました。戦後の混乱期が青春まっただ中、役者への夢を追って、当時はまるで外国に行くようにおもえた東京へ出てきたものの、西も東もわからないところでの貧乏のドン底であえぎながらの役者修業。三十七歳でやっとつかんだ『土佐源氏』。まだまだやめてしまうわけにはまいりません。
 『土佐源氏』の爺さんは八十歳すぎということになっておりますから、せめて八十までは、いやもう少し欲を出して八十八歳で米寿を祝って『土佐源氏』を、と思っております。まったく我ながら泣けてきそうな夢ではありませんか。
  いまだに年齢にふさわしい安定も成熟も一向に身につかない役者のハシクレですが、宮本常一先生のおっしゃった「生きるということは何かいろいろんお意味があるのだろうが、一人ひとりにとってはその可能性の限界をためして見るような生き方をすることはできないかと思う」。このことを常に心にしっかり持って生きていきたい。(沖縄にて)

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