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陽が沈み陽ガ昇る


 2000年を直前にして、ひとりの親友が天国へ旅立った。彼は六十七才、私より三ツ年下だった。複雑な気持ちをいだいたまま、私はひとりFiJiに居る。
 戦後間もなく出雲から上京し、西武池袋線の櫻台駅から十三間道路をまたいだ一面麦畑の中にポツンと建つ、窓もない、階段下の三畳間に住んでいた私のところへ、彼は上京してころがりこんできた。その後彼と私は、毎日毎日金に困りながら、本郷界隈の安下宿を転々として長い間一緒に暮らした。
 昭和26年に私は劇団ぶどうの会の研究生に合格し、彼は数年経て出来たばかりの出版社「未来社」に入ることが出来た。キッカケは未来社が最初に出版したアラルコン作「三角帽子」(木下順二訳)を一番先に買い求めたのが、なんと私だったことから社長の故・西谷能雄氏が当時まったくのペエペエの研究生だった私を好いて下さって、彼を営業部で使って下さることになったのだ。だが彼は自転車にも乗れなかった。それじゃ配達の仕事も出来ないじゃないかと一旦はことわられたが、なんとかしますと彼は云って、次の日朝早くから本郷東大の広場で、私が自転車の後の荷台をつかんでバランスをとってやり、必死の練習がはじまった。
 99年の太陽が、今まさに南太平洋に沈もうとしている。海も空も茜色に輝いている。私の沈んだ心には、この世のものとおもわれぬ地獄の色にもみえた。
 その後彼は結婚し、未来社をやめて独自に出版社をはじめた。私の方は、ぶどうの会の突然の解散やら、演劇集団「変身」の結成やらで、彼とも段々に疎遠になっていった。太陽が完全に没して外は闇となり、すぐそこにみえていた海もみえなくなった。
 しばらくして暗闇のなかにザワザワと人々の集まる気配。なんだろうと急ぎ外へ出た。いつの間にこしらえたのか芝生の隅に野外ステージが組まれていた。闇のなかをどこからともなく、どんどん人が集まってくる。ブラッ!(こんにちは)と交わしながら。私も闇で顔もはっきりとせぬ人、人、人にブラッ!を連発して歩く。みんなすごく幸せそうにみえた。
 やがて突然カウントダウンの大合唱。HAPPY NEW YEAR2000!!同時にステージにライト!演奏がはじまり、同時に腰ミノをつけただけの裸の若者が海ぎわに並ぶ高さ2米ほどのピラミッド型に木の皮でつくられたものに火をつけて走り出した。花火があがり、みんな狂ったように踊りはじめた。そしてどこの国の人かもわからぬいろんな国の人が誰かれかまわず固い握手を交わす。私は感動のあまりジーンときて側に置いてあった大きな木太鼓をステージの演奏にあわしておもいきりたたいた。 涙が流れた。やがてみんな居なくなってしまった後、私はひとり新年の海に入った。身のひきしまるおもいだった。
 部屋に戻った私は、彼が昔くれたカミューの「異邦人」と宮本常一「民俗学の旅」をベッドの上に置いて七十才の正月をむかえた。(宮本先生のお父様も明治27年この南太平洋の孤島フィジ島に出稼ぎにいかれたことが(民俗学の旅」に記されてある。)

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