二十四時の女性(ひと)
ある夏のちゅうど二十四時に電話のベル。中年女性で関西ナマリのあるカスれた声ー。「徹子の部屋で知りました。ひとり芝居土佐源氏をわたし一人で観たいのですが来てくれますか」
(一人で……ですか!?……うーん、ちょっとそれは……。実は一対一で演じたことはまだありませんので……なんとお答えしてよいのか……)
「どんなところでも行くとテレビで言っておられたでしょう」
(ハイ、それはそうですが……)
「金はちゃんと払います」
(イヤそんなことではなくて……)
「もうじきにココを退職するので記念に最高のぜいたくをしてみたいのです」
(そうですか。よくわかりますが……。会場はどんなところで)
「学校で」
(でしたら演劇部の生徒さんとか、他の先生方にも観てもらうわけにはいきませんか)
「わたし一人で観たいのです」
あくる日、昨夜と同じ二十四時に電話があり、「二人にしました。恋人と手をつないで観ます」
ぼくはますます電話の主がわからなくなってしまった。
次の日また同時刻の二十四時に、今度は「十一人にしました。わたしが選んだ十一人の先生たちで観ることに決めましたのでよろしく」との電話。もうお断りする理由もなく、当日出かけることを約束した。
学校の校門に出迎えて下さった件の先生は、受話器からの声でイメージしていたのとはちがい、小柄でニコニコと実にさばけた行動的な女性(ひと)だったので、ツキモノがおちたようにほっとした。
親分の涙
飛行場には六人の子分をつれて、ひときわ大きな親分は芝居の幡随院長兵衛をおもわせた。真一文字に結んだ大きな口もとには初対面んおテレのような笑みがうかび、きれながの眼が光り、なにも言わずに大きな手を出してきた。
会場には畳を敷きつめ、舞台背景には空輸させたという本物のススキを全面にめぐらしてあった。客は町民三百人を親分が招待。芝居がおわると親分は自作の壺を手に楽屋にきた。子分は楽屋にいれないで外に待たせた。
「やァーよかった……十年待ったかいがあった」と、あとはなにも云わず涙が光った。
あくる日親分の仕事に案内された。窯元もあり、茶室あった。池に面して涼み台に並んで腰かけると、牛乳も半分、ゆでたまごも半分、なんでも親分と半分ッこ。帰りぎわ腰につけていたふるいウエストポーチをはずして私の腰に巻いてくれた。
それから三年後、彼は死んだ。そして奥さんや子分の願いで追悼公演もやった。
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