七十歳の土佐源氏


 ついにといおうか、とうとうといおうか、今年10月14日で七十才になった。
 八十の「土佐源氏・爺さん」には、まだ10年足りない。爺さんと同じ八十才で「土佐源氏」を演じてみたいとおもう気持ちはあるが、そんなことはわからない。
 と同時に何故私は「土佐源氏」をつづけているのだろうと考える。
 人は何故死に生きていくのかとおもう。
 何故「土佐源氏」を三十七才からはじめて30数年演じつづけてきたのが不思議だ。出合ってしまったところから役者の業がドロドロとつづいている。他の舞台やテレビなどもつづいてやっているが、「土佐源氏」はスタッフ1人と私、たった2人で出かけていかねばならない。行く道中いろんな不安にかられる。セリフがちゃんとでてくれるだろうか、相手役が居て助けてくれるわけではない。
 登場すればたった1人である。1人で1時間も観客に身をさらけ出して舞台で生きねばならない。また舞台づくりはうまくいくだろうか、寺だったりホールだったり神社だったりする。
 野外である場合は天候のことも気になる。舞台設定で一番気になることはお客さまひとりひとりが舞台上の演技がよくみえるようにつくることだ。照明、音響、客席等のセッティングを了えて、メイキャップをし扮装して開演のトキを待つ。いざ登場となって、無心を覚悟する。汗びっしょり、鼻水たらして、セキが出そうになればセキまで源氏の爺さんのセキにする。クシャミも同じだ。
 1時間お客さんに身をさらしていると、お客さんが医者で、演ずる私が患者で身体のすみずみまで検査されている気がする。私自身は大病して長い間床に伏していたという経験はまだないが、役者の役割りというのは病人が病気とたたかっているかに似ていると書いた人がいる。
 生きる気力がなければ何事も出来ない。
 役者は虚構の世界で生きている。誤解を恐れずに云えば「土佐源氏」はお芝居であってはいけないと自分に云い聞かせている。しかし沢山のお客の前で演ずるのだから、やはりお芝居にはちがいないのだが…。
 そこのところが大変むずかしく、苦しい。でも少しは若い頃からくらべれば、肩の力が抜けてきた。それはきっと語ってきかせることに楽しみが湧いてきたからだろう。
 うまく演じようとか、無理にわかってもらおうとガンバルことではなく、まるであの土佐から爺さんがやってきて、決められたこの場所でお客さんにはなしているが如く、それを役者の坂本が爺さんと一体となって楽しく面白く生き生きと舞台の上に存在するといったふうに、少しずつ変化してきた。
 それが爺さんの年令にあと10年とせまってきた演技術かも知れない。

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