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なつかしい顔


  今日、青山のブックセンターに行った。さがしていた本はみつからなかったが、 ふと、なつかしい写真が目にとびこんだ。それは岩波文庫のカバー写真ー木下順二作『風浪』の舞台の一場面で、赤フンドシだけの糸トンボのようにやせ細った自分の姿だった。
 これは今から46年前になる、1953年の私の初舞台のときの舞台写真である。写真はカラー色ではないから赤フンにはうつっていないが、大変になつかしくてしばらく手にとって眺めていた。
 『明治維新激動期の熊本を舞台に、苦渋にみちた模索ののち西郷軍へと身を投じる佐山健次と、彼をめぐる青年群像を描いた木下順二の処女作(風浪5幕)』
 ぶどうの会に入ってまだ2年位しかたっていない研究生の時だ。故・岡倉士朗演出で、10か月ぶっ通しの稽古であった。稽古ははじめから和服着用で、断髪禁止令も出た。
 第一生命ホールでの初日の舞台がおわった時、舞台装置家の故・一条竜夫氏が楽屋にやって来ていきなり私の尻をぺタっと叩いて「坂本君、君役者になれるよ!」と云ってくれたことは大変はげみになった。
 岡倉先生からも、総会の席で「坂本君は、おそらくどの役をつけても出来ないのではないかとおもっていたが、君の"小野敬吉
"はなかなか良かった。どうして君はかわったのかを、みんなに話せ」と云われた。どんなことをしゃべったのか今は忘れたが、実は稽古に入る前に、岡倉先生から「君が今、一番やらなければならないと考えていることは何か!」と問われた。答えられない私に「君にとって今、一番大切なことはアクセントを直すことだよ。そのことから、いろんな枝葉が芽生えてくるものだ。宇野重吉さんもそうだった」とビシっとおっしゃった。出雲出身の私にとって、くやしいことではあるが、その時、目の覚めるような感動と決意が湧いた。
 私のデビュー作は木下順二作『三年寝太郎』の寝太郎役だった。この時の岡倉先生に教わったことも忘れることが出来ない。岡倉先生は大変ねばり強い演出家で、出来なかったら、全然、先へ進めてくれなかった。わかってもいないのにヘタな芝居をやろうとする。頭では理解出来ていても体がともなわないから余計な動きをする。心のある生きた寝太郎になっていかないのだ。それが自分にもわかるから気持ちが悪い。にっちもさっちもいかなくなった時「ね、坂本君そこに石コロが落ちている、それ拾ってくれよ」。稽古場の床に石コロなどがあるはずないのだが、拾って眺めていると、妙に気が楽になってきた。それをしばらく見ていた岡倉先生「さ、稽古はじめからやろう」と云って、「坂本君、石コロだよ、石コロでいいんだよ。そんじょそこらに転がっている石コロだとおもえばいいんだよ。なんでそんなむつかしく、むつかしく考えるんだよ」と。
 ぶどうの会での12年間、岡倉先生の演出をうけていなかったら、いまの私はなかったかもしれない。あるいは「土佐源氏」も生れなかったかもしれない、とおもうことがある。
 「ええ百姓ちゅうもんは、石コロでも、自分の力で(金)に
かえよる」ー土佐源氏よりー

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