ポチャンの効果怪音  バリ島で土佐源氏


  インドネシアは今一応、落ち着きをとり戻して、めっきり減った日本からの観光客をやっきになって、とり戻そうとしている様子です。
 私がはじめてインドネシア・バリ島のクタに行ったのは1982年2月の雨季でした。あの頃は人も車も少なくて、道路も舗装されていなかったので、スコールともなりますと、水たまりの穴ボコがあちこちに出来て、よくはまり込んだものです。夜の町はほとんど暗闇でおまけによく停電しますから、買物などで夜道を歩くのには懐中電灯が手放せませんでした。それでも、のんびりとした素朴な自然と人とすっかり好きになったものです。 
 実はその82年のこと、私の住む近所のポピーズという店の主人Oさんが、店に来る客を集めてバリ島で『土佐源氏』をみようと、三十人ばかりを集めました。主人のOさんの他はみんなバリ島に行くのも『土佐源氏』をみるのもはじめてという人ばかりでした。 
 デンパサールの空港に着いたのが夕方。外に立つと線香なのか香辛料のにおいなのかが、湿った夜気に含まれて不思議な外気が体をつつみこむのです。バスでクタの町に入って着いたホテルがイダ・ビーチインという古くからあるホテルの前まで来ますと、でっかい割れ門(われもん)がぼんやりとした外灯にうかんでぶきみでした。荷物をもった体を横にして割れ門をまたぐと、内側も闇。草がしげっているので足元は懐中電灯なくしてはほとんどみえません。
 おそるおそるゆっくりと進みますと、池につきあたり、その池にかかっているせまい橋を渡るとロビーでした。部屋に案内されてベッドであおむけになると、天井にはトカゲが顔を出しています。落ちてきたらどうしようかと、しばらくは寝つかれませんでした。正直いってえらいところまで来たもんだと、少々後悔して眼をつむりました。ところが朝が来ると、まるで別世界でした。鳥はさえずり、色とりどりの花、みどり、ヤシの木、はじめて味わう南国の楽園の光景でした。
 さて『土佐源氏』の舞台となったのはロビーの広間、バリダンスなどもここでやるのですが、着いた夜渡ったあの池の横です。照明器具などありませんから、ホテルからローソクを二十本もらってきて舞台前にほぼ五十糎間隔で立てました。客は従業員や泊まり客のフランス人なども含めると、五十人位だったでしょうか。ところが芝居がはじまってシーンとしてきますと、すぐ横の池の主がボーンボーンと一声になきだしたのです。なに蛙なのか、大きさも、一体何匹いるのかもわかりませんが、すさまじい大合唱となったのです。すると誰かが石を投げたのかポチャンという音でなきやんだのです。が、またすぐにボーンボーンとなき出します。またポチャンと石、だがそのうちに石一つではなかなかなきやまなかったので、今度はポチャン、ポチャンの水音が気になり出してきました。とうとう芝居が終るまでボーンとポチャンがつづきました。  このことはあれから十七年たったいまでも語り草になっており

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