リョうちゃんとゼック


 岩手県遠野の公民館で(1979年12月)「土佐源氏」 を上演したときのことである。終演後、主催者の方が楽屋にみえて、「坂本さんの知りあいでヤクザの人がいますか?」と問われた。突然の問いにおどろきましたが、まったく心当りがない。それにここは遠野である。わけがわからないのでわけをきくと・・・「実はさっき、ここには場違いなベンツに乗ってヤクザ風な男2人と女性1人がやってきて入場料は幾らだ、えらい安いななどと云うものですから、なにか間違ってきたのではないかとおもって、この会場は坂本長利の『土佐源氏』でというと・・・、その坂本の知りあいの者だというものですから、しかたなく入れたのですが、席に着くや女性はおにぎりを出して喰べはじめ、それをみていてなにか芝居をこわすようなことがあっては困ると思って、後方から心配してみておったのですが、最後まで静かみて帰りました。」というはなし。
 その場ではおもい当らなかったのですが、宿で風呂につかっていてはたとおもい当ったのです・・・そうだ、リョウちゃんだ!。リョウちゃんがきっとどこかで偶然「土佐源氏」を上演しているのを知って観にきてくれたのだ。
 戦争中のある晴れた日、ある宮様が出雲大社に参拝された。その車の行列を、ぼくの愛犬セパードのゼックがものすごいいきおいで突っ切った。
 一週間後、ゼックは毒マンジュウを喰わされて苦しみもがいて死んだ。
何故ゼックが突然走ったかというと、道路の向う側にリョウちゃんが居たからだ。リョウちゃんはぼくより2年先輩で、ぼく以上にゼックを可愛っていた。リョウちゃんの学生服のポケットにはいつもチリメンジャコがはいっていた。通学のときにもそれをムシャムシャやりながら歩いていた。
 リョウちゃんの家はぼくの家の隣だから毎日ゼックにジャコをやってから学校に行く。ぼくもリョウちゃんと一緒のときはリョウちゃんのポケットに手を突っ込んでジャコを口にした。
 ぼくが東京に出て間もなくの頃、リョウちゃんがヤクザになったことを風のたよりで耳にしたことがあるが、それっきりリョウちゃんのことは忘れていた。あのゼック事件から何年たったのだろう。ぼくには少年の頃のリョウちゃんの顔しかおもい出せないでいる。
 遠野で再会したかった。
 それにしてもどうしてリョウちゃんは遠野での「土佐源氏」を知ったのだろう。あの時、盛岡あたりに住んでいたのだろうか。そして今はどこの空だろうか。 

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