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『土佐源氏』殺意の30年


 もともと新宿にあったストリップ小屋の幕間狂言に頼まれてはじめたものである(一九六七)。当り前のことだが、みんなストリップを観にきている客だ。きたねえ爺が登場すると新聞を広げる客もいた。しかしなかにはまじめに観てくれる客も何人かはいた。そのうちに『土佐源氏』が評判になりはじめ、ストリップより『土佐源氏』を目当てにやってくる客が増えはじめた。
 十五日間入れ替えなしの一日三回上演。次は姉妹によるストリップショー。そのストリップの姉妹がステージ上の踊りをおえると、ステージから通路に降りて、客のひざにペタンとお尻をのせ、手を客の首に巻きつけて「いまの『土佐源氏』、お芝居どうだった」ときいてくれる。その客のはなしが、うなぎ寝床のような楽屋にいるぼくにとどく。うれしかった。はげみにもなった。楽しかった。あれから三十年。
 先日の九六年一月二十三日(火曜日)瀬戸内海の因島市民会館中ホールで千回になった。
 民俗学者・宮本常一氏聞き書きによる、橋の下をねぐらにする盲目の老馬喰(ばくろう)の生涯。
「わしゃのう父(てて)なし子じゃった。母者(じゃ)が夜這いにくる男の種をみごもって出来たのがわしで」、誰の子ともわからぬ子を産んだ母者は、ランプをかぶって全身大やけどをしてむごい死にかたをする。残された幼児は他家の子守女たちの後をついて遊び歩いているうちに、子守女たちに「いれてみい」といわれ、性の目覚め以前に性交を知らされてしまう。
 二十歳のとき奉公先の馬喰宿の娘とかけ落ち、落ち着いた先で職をかえた関係の営林署の役人の嫁と丘のお堂での関係がつづく。が「迷惑をかけてはいかん。しかしこの土地に居る限りはとてもエンの切れるもんではない」と、女房にもないしょ、役人の嫁さんにもなにも言わずひとり雪の山を越える。
 再び馬喰に戻り、道ばたで声をかけられた県会議員の牛を世話することから、そのおかた様にも思いをかけ、牛の交尾をキッカケに関係する。それからは「どんなことがあってもおかた様を守ってあげねばならん」とおもう。しかし間もなくおかた様は肺炎を患ってポックリと死んでしまう。「三日三晩寝込んだまま男泣きに泣いたぞね」
 それからは「極道の限りをつくし」そのむくいで「眼が見えんようになってしまい」捨てた女房のところへ、三十年ぶりに、にわか盲目のなりで帰ってゆく。
「とうとう戻ってきったか」と泣いて喜んでくれた女房に手をひかれて四国八十八カ所の旅に出たが、盲いた目はあいてくれなかった。
 極道の限りをつくしたと自ら認めた生涯の落日を迎えてー「人はずいぶんだましたが、牛と女ごにはウソはつかなかった」と言いきる。
「あァー眼のみえぬ三十年は長ごうもあり、短こうもあった。かわいがった女ごのことをおもい出してのう。どの女ごも、みんな、かわいい、ええ女ごじゃった」。
 この世のものとはおもわれぬアカネ色の透明な残酷美をおもう。
 ぼくは何度もこの盲目の老馬喰を殺したくなったことか。
 目を閉じて演じているのだが、気が遠くなり、途中で目をあけて客にあやまって半ばでやめてしまおうとおもったことが幾度もつづいてあった。夢の中で本当に目がみえなくなったこともあった。恐ろしいとおもうのに、やめられない。殺してやりたい。しかしむしろ、もっともっと深いところで、技術ではなく、魂の叫びを、とおもってしまう。
 実際に橋の下に住んでいた盲目の老馬喰は一人だが、演ずる虚構の世界での老馬喰は毎回ことなる。演じた数と同じ数の馬喰が、ぼくとヘソの緒がつながったまま、お地蔵さまのように並んでいる姿がある。
 生きものをみて、とっていただくことが眼目なのに、対象から遠ざかって、単に演技となることをおそれるあまり、息づまるおもいで舞台に存在しつづけなければならない。これが役者の業というものだろうか。
 修羅場を闘っていくことにおわりはない。

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