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役者もんもいいぞ


 十四歳の夏。その日は山陰地方特有のどんよりしたむし暑い朝でした。
 近所のK君のお父さんが突然狂ったのです。召集令状がとどいたからです。K君のお父さんは近所で評判の大男だったのですが、戦争征くのがイヤだったのです。パンツのまま、はだしで停車場の方向に、なにやらわめいて走っていきました。その後をおばさんが泣きながら追かけていきました。K君は店の戸口に茫然と立ちすくんでいました。
 当時、もう兵隊にとられることはないだろうという年齢のそれも一家の大黒柱を容赦なく召集していたのです。学校へ行っても軍事教練ばかり。 友人たちも少年兵や予科練に志願する者が出てきました。隣町から通学していた親友のY君も、とうとう志願して征ってしまいました。さみしかった。とり残されたという気持ち。ふんぎれない自分の弱さをどう処理したらよいのか。そんなとき、いつも通学を共にしていたA君が少年航空兵を志願しようや、とぼくをさそったのです。ぼくは決心しました。そして二人で一緒に願書を書きました。
  ちょうど、その日の夕方、松江に住む,遠い親戚でぼくが一番尊敬していた東京帝国大学生の後藤憲一さんが家にやってきたのです。憲一さんんと二人だけで向いあうのは初めてでした。彼はあぐらをかいていましたが、ぼくは正座してかしこまっていました。憲一さんは無口な人でした。二人はしばらく沈黙のまま対座していましたが、やがてメガネを手でちょっとあげて、その手で不精ひげをなでながらぼそっと口をひらきました。
 「おまえは、これからどうするつもりだ」。
ぼくはすぐには返事が出来ませんでした。でもカラ元気を出して少年航空兵を志願することを伝えました。憲一さんは手をひざに置いたままだまっていました。しばらくして、やはりぼそっと
 「兵隊もよいが……わしも、とうとう……軍人になることになって、さっき出雲大社に行って軍刀をこしらえる手配をしてきての帰りだが……。おまえは確か小さいときから役者もん(俳優)になりたいと云っていたじゃないか……役者もんも、いいぞ」
  この憲一さんの意外な言葉が、しかしぼくにいは意外ではなく、すくいの神が天から降りてきてぼくの眼の前にすわっているのではなかろうかとさえおもえてきた。凍てついた血管に新鮮な血がゆるやかに流れこんで,次第に身体が温かくなってきたようなおもおいがした。
  しかし、当時は兵隊になることには、親といえども正面から文句は云えなかったけれども、役者になるなんてことはとても口には出せないことであった。
  そして間もなく、ぼくの親父にも召集令状がきたのです。親父は残す家族、祖母と母と妹の女ばかりであることを考えたのでしょう。ぼくを日本国有鉄道、大阪鉄道局、米子管理部米子通信区、今市通信分区に入れるよう手配していたのです。
そして電信柱の上での苦闘が始まるのですが………。

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